2015年11月9日月曜日

【ノアイレス】‐BAR‐⑤

ほんの数秒の間。
エマは私の目をじっと見続けて、私の目の中の、その奥にある「何か」を見ているようだった。

そして私の目は、そんな彼女の視線から逃げ、手元のカクテルを映し出したんだ。

「ふふっ」

エマの静かな笑い声が、視界の外から聞こえていた。




私は手に持っているカクテルの残りを飲み干して、グラスを置いて、そして視線をエマに向けたんだ。
彼女は目に笑みを浮かべながら、綺麗なグラスに満たされているブラッディーメアリーを飲んでいた。

ケイは、空になった私のグラスを下げると、磨かれた新しいグラスの中に氷を入れていく。
カラン、カランと、静かな音色が響いていった。

私の方を見ようともしないエマの態度が苛立たしい。
彼女が静かに笑っているのも不愉快だし、楽しそうに酒を飲んでいるのも不愉快だ。
彼女が着ている水色のシャツの色でさえ、不快な色に見えてくる。

私がいくら彼女をじっと見ようとも、彼女は私を見ようとしない。
エマのその態度に怒りはさらに高まって、私はまた、エマに刺々しい言葉をかけていったんだ。

「気づかないって、どういう意味だ。話を途中で切るなよ。人を馬鹿にしているような君のその態度は、大人が取る態度じゃないね」

突き刺すように投げつけたはずの私の言葉を、エマはまた「ふふっ」と笑いながら避けていくんだ。

全身の血が頭の方へと集まって、おとぎ話に出てくるような赤鬼のようになり、目は血走っていたかもしれないな。

「いい加減にしてくれないか?! 君のその笑い声は不愉快だ」

エマは私の顔をチラリと見ると、今度は下を向き、声をあげて笑いだした。
そして、彼女の笑い声につられる様に、滅多に笑ったことのないケイまで笑い始めていた。
真っ赤な色をした新しいグラスを私の前に差し出しながら、彼は声を殺して笑っている。

「おい、やめろ。君たちは私を馬鹿にしているのか?!」

彼らの笑い声は、私が声を荒げれば荒げるほどに、どんどんどんどん大きくなっていった。
エマは酒を飲みながら陽気に天を仰ぎ見て、ケイは自分の手元を見つめながら、グラスを磨き笑っていたんだ。

彼らに向い、どれだけ辛辣な言葉を投げつけようとも、私の言葉の全ては虚しく空を切っていった。




二人が楽し気に笑う声が小さな空間にこだましてて、私は大勢の人達から笑われているような気分になっていったんだ。

こんなにも不愉快で腹立たしい思いをするくらいなら、もう二度とこんな場所へなど来てやるものか。今日だって来るんじゃなかった。こいつらの顔など見たくもない。

「やめろ!」

二人の笑い声をかき消すように、私は笑い声以上の大声を上げながら席を立とうとした。
二人を睨みつけながら、わざと大きな音を立てて椅子を引いたのさ。

でも、あの時。
私は、立てなかったんだよ。

立とうとした私の襟ぐりを、エマは鷲掴みにして自分の方へと引き寄せて、大きくて茶色い彼女の目には、眉間に皺を寄せた私の顔が映っていた。

そしてケイは、静かに私の肩に手を置いたあと、力を込めて私を椅子に押し戻したんだ。



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