2015年11月1日日曜日

【ノアイレス】‐BAR‐②

誰に相談をしたとしても、「そんな会社、早く辞めてしまえばいい」と、言うだけだろう。
私ですら、そう思いながら過ごしていたのだから。

独裁政治国家から抜け出すのは簡単なんだ。
「辞める」と、書いた紙を一枚出せばいい。

でも、それを出した後を考えると、どうしても二の足を踏んでしまうんだよ。

退職日までの1ヵ月間は、それこそ針の筵になるだろう。
まるで地獄の針山に、素足で挑む登山のようにね。

そして、その針山を必死な思いで越えたところに待っているのは、就職難という天辺の見えないドデカい氷山さ。

職を失い、収入を失い、あるかどうかも分からない次の職に自分を賭ける気力など、砂一粒程度だって残っているはずはなかった。

勤労は、国民に用意された蟻地獄。

ひとつの独裁政治国家から抜け出して、平地の砂を踏みしめてみたところで、他の独裁蟻が砂に潜って次の獲物を待っている。




帰宅する足取りすらも重苦しく、社外へ出ても、足枷を付けられた奴隷気分は変わらない。
そして、そんな陰鬱な私を待っているのは、静まり返った真っ暗闇の小さな小さな自分の部屋。

鬱に鬱を重ねるような自分の日常。
一年先、五年先。
死ぬまでずっと、こんな日常だけが続いていくんだろうか。

私は……、それに耐えられるんだろうか……。

「滅べばいい……」

口を衝いて出てきた私の言葉に、エマは笑みを浮かべながら問いかけてきた。

「あなたが? それとも、世界が?」

「どっちも……、かな」

そんな私の投げやりな言葉が、ケイに『今日の酒』を決めさせたんだ。
彼は良く磨かれている透明なグラスを手に取ると、そこにいくつかの氷を入れていった。

カランと響く静かな音は、とても小気味いいものさ。




少し色のついたウォッカと、真っ赤な色のトマトのジュース。
レモンの黄色い色は、赤く染まったグラスに良く映えていた。

「ブラッディーメアリーか。血染めのメアリー」

「ええ、今日のあなたには、このカクテルを」

ケイは私の前にグラスを置くと、「私のネクタイの色と同じです」と言いながら、少しだけ笑ってみせた。

「首を絞めているって、そう言いたいのかい?」

二人で顔を見合わせて、あの時、少しだけ笑ったんだ。

慈悲を持たない迫害と、何百という人間を処刑したイギリスの女王メアリー1世。
彼女の名に因んで付けられたとされているこのカクテルは、私が置かれている状況を示しているようにも思えていた。

「宗教観が違うというだけで、人は人を死に至らしめる。今の日本に生きていると、それはどこか絵空事のようにも思えるけどね」

グラスが鳴らすカランという音を聞きながら、私はケイの作ったカクテルを口にした。



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