2015年11月20日金曜日

【ノアイレス】‐BAR‐⑦

深緋色に染まったグラスが、カランカランと澄んだ音を立てながら、目を見開いている私の前に差し出された。金色のカウンターは、古いテーブルライトとロウソクの明かりに照らされて、赤橙の色に染まっている。

二人がとった予想外の行動に、私は目だけをキョロキョロさせながら、若草色のカウンターチェアに深く座り直して、エマとケイの口から出てくる言葉を待っていたんだ。

天井のファンがゆっくりと動き、周囲の空気は緩やかに動いていた。

「ねえ、あなたは何を見ていたの?」

エマは、静かな声で、私にそう問いかけてきた。
彼女の質問の意味が理解できず、私はじっと彼女の目を見続けていたんだ。

ずっとずっと昔から知っている、大切にしていた人達が、急に違う言語を話し始めたり、思いもつかないような行動を起こしたら、誰だって呆然とするだろう?

だから私は、エマの問いかけに何も答えなかったんだ。
答えられなかったんだよ。

頭の中に一気に押し寄せてきたおかしな情報が、まるで……、そう。
行き場を失った大量の雨水が道を海に変えてしまうように、彼らの取った行動は、私を小さな子どもに変えたんだ。



そして、ただ目を丸くしている私に向かい、ケイとエマはこう言ってきた。

「あなたが見ているのは、あなたに起きた出来事の上っ面の部分だけ。事件が起きた年号だけを覚えているようなものよ。どうして、その事件の奥の奥に隠されているものに、自分の目を向けようとしないの?」

「あなたの周囲で起きている出来事を、何故そのままを見ないんですか?」

「見えないんじゃない。あなたが見ようとしないから、それは見えてこないのよ。さっき、あなたは心の中でこう叫んだはず。『どうして、彼らは笑っているんだ』ってね。そして、あなたはこう思ったの。『彼らは、自分を侮辱しているから笑っているんだ』って。私もケイも、違う意味を込めて笑っていたのに。なのに、あなたは自分勝手にそう解釈して、勝手に不機嫌になっていったのよ」

彼らの言葉の意味は、相変わらず分からない。
ただ、『自分は何かを間違えたのかもしれない』とは思っていた。

BARに座り、ケイがブラッディーマリーを作り、私はそれを受け取った。
その時までは、エマもケイも普段通りだったはずだ。
そして、エマと話し始めて……と、自分の記憶をせっせと掻き集め、どの時点の私が何を間違えていたんだろうと考えていた。




「あなたの周囲に広がる屈辱的な思いをする世界と、あなたと私と、エマがいるこのBARとは、なんの関係もありません。その二つのどこにも橋は掛かっていない。なのに、そこに橋をかけ、渡っていったのはあなたです」

「この場の雰囲気を楽しんで、笑いながら美味しいお酒だって飲めるはずなのに。暗い顔をしながら真っ赤なカクテルを飲んでいるあなたを見て、私達はあの時、こう思っていたの。『この人は、いまの楽しさを感じようともしないで、何十年も掃除していないような臭くて、暗くて、じめっとしたトイレの中に、自分から入っていってしまったわ。そして、臭い!臭い!と叫び続けてる』ってね」

「だから、私はあなたに聞いたんですよ。『同調して欲しいんですか? それとも同情して欲しいのですか?』と。そうしたら、あなたはまた、そこで怒りを選んでいった」

「『その社長さんは変人ね』とか『ああ、あなたは可哀そうな思いをしているのね』とか、そんな言葉だけであなたが救われるというのなら、私たちはいくらだって言えるのよ。でも、そんな救いは一時の気休めにしかならない。束の間の安寧で継ぎ接ぎした生活を、もうこれ以上、あなたに続けて欲しくないの。そして……、あなたもそれを望んでいない」

そして彼らは、鮮やかな口調でこう続けた。

「だから、終わりにしてあげますよ。私たちの手で。あなたをね」


にほんブログ村 小説ブログへ

0 件のコメント:

コメントを投稿